「どつき漫才」で人気を博した昭和の上方演芸を象徴する夫婦漫才コンビ「正司敏江・玲児」の正司敏江さん(本名・及川キミコ=おいかわ・きみこ)が18日午前1時59分、脳梗塞のため大阪市内の病院で亡くなった。80歳だった。所属の松竹芸能が19日、発表した。家族葬として18日に通夜、この日告別式を終えた。現段階では、お別れの会の予定はないという。

事務所によると、敏江さんは3週間ほど前に大阪府内の自宅で倒れ、救急搬送。大阪市内の病院で治療を受けていたが、回復はならず、長女らが見守る中、息を引き取ったという。最後の舞台は19年2月の大阪・角座だった。

敏江さんは「かしまし娘」の住み込み弟子を経て、64年に正司玲児さん(故人)と結婚。当初は兄妹コンビなどと偽ったこともあったが、68年に夫婦コンビ「正司敏江・玲児」として道頓堀角座で、正式にデビューした。頭上に着けた大きなピンクのリボンがトレードマーク。「どつき漫才」のきっかけは、新作をネタ下ろした際、玲児さんと意見の相違があり、舞台上でどつき合うけんかへと発展したが、観客に受けた。玲児さんが敏江さんほおを平手打ちにし、互いを殴りあい、蹴り合う唯一無二のスタイルを築き上げた。

玲児さんと離婚後もコンビ活動を続けたが、玲児さんの死後はピン芸人として活躍した。【村上久美子】

◆正司敏江(しょうじ・としえ)本名・及川キミコ。1940年(昭15)11月9日、香川県小豆島生まれ。57年に「かしまし娘」に師事。64年に正司玲児と結婚。68年に「正司敏江・玲児」として夫婦漫才を始めた。76年に離婚後もコンビは継続。浮気や離婚ネタも入れ込み笑わせたが、10年に玲児さんが亡くなると、ピン芸人として活動した。

▽兄弟コンビの酒井くにお(73)とおる(70) 寂しい思いでいっぱいです。松竹に入って50年ほどテレビ、寄席、芝居…数えきれないほど師匠と仕事を一緒させていただきました。誰にでも好かれ、漫才で殴られ、蹴られても楽屋に帰ると明るく元気な敏江師匠の笑顔が思い出されます。芸人魂を教わった気がします。

▽長年の盟友で落語家、桂福団治(80) 敏江ちゃんは私と同い年で、長い時間、楽屋生活をともにして、心の通じ合った友達でした。玲児君が亡くなってからは漫談などでお客さんを楽しませていました。晩年も私の舞台に誘うと、お決まりの振り袖姿で登場しては、憎まれ口の愛されキャラを存分に発揮してくれました。向こうでまた、どつき漫才、やってな。