戦争を体験した世代が減る中、神奈川県横浜市金沢区で当事者が記憶を語り継ぐつどいが二十二日、開かれた。同区に住む八十代の三人が東京大空襲や疎開先での体験を伝え、四十人が耳を傾けた。
同区の区民らでつくる「富岡・能見台・並木9条の会」が主催した。米沢広光さん(83)は東京都墨田区で東京大空襲を体験した。当時、父は中国に出征しており、兄も集団疎開中。六歳だった米沢さんは母に手を引かれて逃げ回った。
周りには子どもを背負い、奇声を発しながら火災の炎に飛び込む女性や、周囲の人をいきなり棒で殴る人もいた。「何が起きているのかも分からず、ただ見ているだけだった」という。
延焼が収まった後には、軍人らが道に横たわった数々の遺体を回収。長い柄の先端に金属の穂先の付いた鳶口(とびぐち)で遺体を刺し、トラックの荷台に積んでいた。瀕死(ひんし)状態の人も刺され、血が飛び散る光景を見たといい、「無情だった」。家族を捜す叫び声も町中に響き、「同い年ぐらいの女の子が両親を捜して泣き叫んでいた姿が今も忘れられない」と語った。
福島県郡山市で戦時中を過ごした武田美智子さん(86)は食料不足対策として、食べ物を食い荒らすネズミの退治を学校の宿題で命じられた。捕獲したネズミの尻尾を切って学校に持って行くと、先生からあめ玉をもらえた。「今でもネズミがトラウマ(心的外傷)。でもあのときは皆が甘い物に飢えていて、あめがほしくて退治を頑張っていた」と振り返った。
桐山澄子さん(87)は戦時中、横浜から親戚を頼って佐賀県唐津市に疎開。空襲などの被害はなかったが、ガソリンに代わる燃料集めとして松の根掘りにも従事した。「戦争が庶民に何を押し付けるのか。二度と起こらないようにしたい」と力を込めた。(森田真奈子)
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