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Monday, February 8, 2021

瀬戸内寂聴「生き過ぎたと思います」(AERA dot.) - goo.ne.jp

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瀬戸内寂聴「生き過ぎたと思います」

瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。

(AERA dot.)

 半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。

*  *  *
■横尾忠則「池田満寿夫と熱く交わした、ぜんざい論争」

 セトウチさん

 ムカシ、池田満寿夫が生きていた頃、箱根の温泉旅館で対談することになりました。彼は僕より二歳年長で初対面でした。彼は版画家、僕はまだグラフィックデザイナーの頃です。さて、何から話そうかということになって、いきなり芸術論というよりも、先(ま)ずお互いの性格が表われ易(やす)い食べ物の話から、どうですかと編集者。

 グルメではない僕は食べ物音痴なので料理の話はニガ手だ。ぜんざいの話ならできるけどと言うと池田さんも、「俺もぜんざい大好きだ」と、いきなり話が合ってしまった。でも、僕はツブあんでないとぜんざいとは言わない、と言うと彼は、コシあんこそぜんざいだと言う。コシあんはぜんざいではなく、おしるこだと反論すると、彼は「おしるここそがぜんざいだ」と主張し始めた。

 そこでぜんざい論争になってしまった。彼は長野出身で、ツブあんを否定する。僕にすればコシあんこそ否定的対象だ。コシあんは口の中でもコシあん、胃袋に入ってもコシあん。それに対してツブあんは、口の中でツブあんだけれど噛みくだいて胃の中に流し込んだ時にはコシあんにメタモルフォーゼして、二度感触が味わえる。まさに芸術ではないか、と僕。池田さんは最初から最後まで変(かわ)らないのが伝統だと言い張る。僕はあくまでもブルトンのシュルレアリスムで応戦。池田さんの信奉するピカソも、君の作品だって変化するのに、変化しないコシあんが好きだというのは、君の芸術観は不正直過ぎると再び突っ込む。

 彼は僕のツブあんがコシあんに変化するのは一貫性がないと言う。それに対して僕は一貫性に固執するその態度は権威主義的で人間としても面白味がない、作品はコロコロ変化する多様性こそ現代社会に対応しており、固執するのは停滞の証拠だ。

 とかなんとか、お互いに、口から出まかせに自己主張。ぜんざいから芸術論争に発展してしまった。編集者は大満足で、版画の芸術性とデザインの大衆性、まさにハイ&ローの実に今日的な課題だと喜ぶが、こっちは、カリカリ。「対談は成立しない」打ち切ろう、ということになってしまった。

 箱根温泉まで来て、仕事が成立しなくなってしまった編集者は、マッ青。「まあ、まあ、温泉でも入りませんか」ということになって三人で大浴場に入ることになった。お互いに裸になって言いたいことを言ったが、本当の素裸になると、先(さ)っきまでのぜんざい論争がバカバカしくなってしまった。やっぱり素裸になると対談は仮面の告白で、お互いにつっぱり合っていたことがわかって。池田さんと顔を見合せて、湯船の中で大声で笑いころげたものだ。

 こうして、本気で自己主張することで、お互いに吐き出すものを吐き出して、なんだか、お互いのカルマが解脱したように思えた。池田さんとはこの日以来、気心の知れた仲になって、ニューヨーク、サモア、タヒチ、フランスへと度々、旅行などして、一度ももめることはなかった。本当の友人とは言いたいことを言い合って空っぽになった時、親密になるように思えた。精神の裸と肉体の裸を両方見せたら、問題(対立)がなくなった。

■瀬戸内寂聴「スイーツ好みでスマートなヨコオさん」

 ヨコオさん

 今朝の京都の新聞は、一面の真中に、塗椀(ぬりわん)に、大きなお餅の浮(うか)んだ「ぜんざい」の写真が坐(すわ)り、「節分は“ぜんざい”で厄除(やくよけ)招福」と、大文字で謳(うた)っています。

 その写真の美味(おい)しそうな「ぜんざい」を見たとたん、ヨコオさんの和んだ顔が浮かびました。

 ヨコオさん御夫妻と一緒に温泉へ旅した時、一夜を明かした朝の食事に、ヨコオさんは味噌(みそ)汁の替(かわ)りに「ぜんざい」を要求し、それが運ばれてくると、さも美味しそうに三杯くらい、あっという間に食べてましたよね。いつもすっきり痩せていて、スマートなヨコオさんが、若いムスメのように、甘いぜんざいをペロリと召し上がるとは!

 そのあと、街へ散歩に出たら、目につく菓子屋に、必ずはいって、ぜんざいを召し上がるのでした。あんまり美味しそうなので、つい、つられて、私も注文してみますが、とてもヨコオさんの何分の一も食べきれません。その甘党ぶりと、スマートなほっそりとしたスタイルの違和感に、まずびっくりさせられたことでした。

 以来、つきあう度に、ヨコオさんの甘党ぶりに慣れて、どこかの旅先や、散歩の途中で、甘い物屋の店先を通ったりすると、必ず、ヨコオさんの甘い物を食べている時の、和やかで無邪気な表情を想(おも)い出すのです。そんなに甘い物好きなのに、ヨコオさんはいつだって、ほっそりスマートなのは、どうしてだろうと、寂庵ではよく話題になっています。

 もの心ついた時から、ひどい偏食の私の数少ない好物に、小豆飯があります。それもあたたかい炊きあがりではなく、さめた冷たい小豆御飯(ごはん=古里の徳島では“おこわ”と呼んでいた)が大好きで、さめたおこわのお茶漬けが何よりのお気に入りでした。小豆御飯をお茶漬けにすると嫁入りの時、雨になると、年寄りたちが言い習わしていました。それでも私は「おこわのお茶漬け」が止められませんでした。ところが嫁入りの時は、一滴の雨も降りませんでした。

 赤飯のお茶漬けなど、消化が悪いに決まっているので、子供に食べさせまいとしたのは、大人の知恵でしょう。私の命がみじかいと信じきり、わがまま一杯に育ててしまった母の、無教養を、私は一度だって怨(うら)んだことはありません。二十の時、自分で気づいて、断食寮へ入り、四十日かけて、本式の断食をして、すっかり体を仕立て直したのがきいたのか、今や数え百歳まで長生きしています。

 最近、さすがに体が弱ってきて、歩く旅はあきらめきっています。

 脚の丈夫だった頃、インドへ何度も行ったことなど夢のよう。それもヨコオさん父子と御一緒したのは夢のようですね。

 いつ行ってもインドは、ここを昔々、お釈迦さまは、御自分の脚で歩いて通られたのだと思われる路が至るところにありました。歩きつかれて、傷んだ靴で、一歩一歩踏みしめながら、この道をたしかにお釈迦さまは歩いて行かれたのだと想うと、不思議な体力が疲れ切った自分の躰(からだ)にみなぎってきた感覚を、忘れることができません。

 御一緒したインドの旅も、二十年も昔の想い出になりました。生き過ぎたと思います。

寂聴

※週刊朝日  2021年2月12日号

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