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Tuesday, March 8, 2022

いま改めて「シュールストレミング」を食べて分かったこと【クリティカル・フード・アタック ~極めて大胆不敵な食事~ Vol.1】 - メシ通

simpangsiuur.blogspot.com

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私にとっての「食事」とは、生活の中における最も重要な営みであり、そして娯楽でもある。

「グルメ」を自称するほどの深い経験値はないが、それでも若い頃は新規開拓の店でずいぶんと外食を重ねていた。そして、まだ味わったことのないフードたちを舌に踊らせ、テーブルでひとり、静かに歓喜の声を上げることを最大の趣味としていた。

ところが、どうしたことだろう。

齢三十五を過ぎたあたりから、私の舌は「保守」に陥っていた。

気がつけば、チェーン店の牛丼ばかりを食べている。たまにラーメンで句読点を打つこともあるが、なんにしても消極的な態度に変わりはない。「食事」を最重要視するあまり、「食べることに失敗したくない」という意識がダメな方向で自分を染め上げてしまったのか。気がつけば無難なものばかりを食べる中肉中背の男がそこにいた。今日の紅しょうがの味は、昨日の紅しょうがとまったく同じ味だった。

こんなことでは、いけない。

毎日、同じ味の再放送ばかりを繰り返して、生涯を終えたくはない。

私は一念発起することにした。舌上を「保守」から「リベラル」へと変え、フードに対する若き日の熱い思いを再沸騰させてみようではないか。

よく考えてみれば、私の来し方にはまだまだ「未食のグルメ」が存在している。食べたことのない食材や料理が、この世界にはごまんと広がっている。それを次から次へと口に放り込むことで、自らを牛丼屋のカウンターから解き放つのだ。これは口の中のキューバ革命である。

さて、取り急ぎ、なにを食べるべきか。

思案を巡らせ、最初に頭に浮かんだもの。

それは、シュールストレミングだった。

「世界一臭い食べ物」として悪名高い、スウェーデン産のニシンの缶詰。塩漬けで保存されたそれは強度に発酵が進んでおり、開けた瞬間に激烈な臭いを放つと言われている。食材としては14世紀にはすでに存在していたといわれる(缶詰化は19世紀)文化的なフードであり、テレビのバラエティ番組やインターネットのルポなんかでもたまに大騒ぎの光景と共に見かける、いわくつきの一品。それがシュールストレミングだ。

それを私は、まだ食べたことがない。

「とにかく臭い」と語られがちなシュールストレミングだが、では味のほうはどうなのか。そもそもスウェーデンにおいての正式な食べ方はどのようなものなのか。もしかしたら、意外と美味しい一面があるのではないか。そのあたりのことは、あまり聞いたことがない。味覚を持って生まれた我が身を使って、きちんと真実を確かめてみたい。

これから始まる、「食事」に対するリベラル性を取り戻すための旅。その第一歩を踏み出すこの瞬間、横に最も寄り添っていてほしいパートナーこそがシュールストレミングだと思われた。

さっそくネットショップでそれを取り寄せ、天気のよい日を待って食べることにした。

シュールストレミングはひどい臭気を放つので、屋外で開封することが推奨されているのだ。

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やがて澄み渡る青空の日が訪れた。絶好のシュールストレミング日和だ。

私は電車に乗り、東京郊外へと足を向けた。

そこには、友人が住んでいる。「世界一臭い食べ物」をひとりで味わう勇気が出なかった私は、その友人と一緒に開封の儀を執り行うことにしたのだ。

彼の名前は、大武政夫。漫画家をやっており、つい最近まで『ヒナまつり』(KADOKAWA)という作品の連載をやっていた。それはなかなかにヒットし、アニメ化までされた。

私と大武は、0歳からの幼馴染である。ごく近所で産声を上げ合い、同じ幼稚園に通い、同じ中学校を卒業した。部活も一緒だったし、下校の道も毎日のように連れ立ち、そして互いに顎の肉がたわわになった現在でもよく遊ぶ。多分だが、私が死んだら弔辞は大武が読むんだろうし、大武が死んだら私は通夜の席で精進落としの寿司を業者に頼んだり受付をやったりとスタッフ側で参加することになると思う。そういう間柄である。逃げも隠れもしない、生粋の幼馴染だ。

私と大武には、色々な思い出がある。だが、「臭い缶詰を食べた」という思い出だけは、まだ作れていない。いや、べつにそんな思い出は作る必要はないのかもしれないが、しかし「世界一臭い食べ物」を前にして、私は涙目になったりするかもしれないのだ。吐いちゃうかもしれない現場で心強いのは、古くからの友人の存在である。もし最悪の事態を迎えた場合には、大武に背中をさすってもらう所存である。

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大武の自宅で合流し、今日の算段を打ち合わせたのち、私たちは外へ出た。

シュールストレミングは開封する際に液体が中から激しく噴射することがあるという。
なにせ強烈な臭いを放つと言われているそれだ。液体が付着したら大惨事になるおそれがある。万全を期して、ふたりとも使い捨てのレインコートを装着することにした。目の部分はゴーグルで覆う。昼下がりの屋外で、私たちだけがカルト教団みたいな雰囲気を醸し出すことになった。

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さっそく、缶切りを当てていく。

今回、この缶詰を購入した三幸貿易株式会社さん(日本で唯一、シュールストレミングを取り扱っている輸入会社である)に「消臭できるようなおすすめの開封方法はありますか?」と問い合わせたところ、「水の中で開けるという方法がありますが、そもそも現地ではそのようなことはしません。味も落ちます。是非なにもしないで開けてください」というストロングな回答があったので、それに従うことにした。ちなみに三幸貿易さんからは「開けた瞬間、近所にいるハエが全員、集まってきますのでご注意ください」という不穏なアドバイスもいただいた。

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※周辺の環境に配慮し、撮影を行っております

プシュ、と音がして、ちょっとだけ液が噴射する。

そしてしばらくしてから、大武が叫んだ。

「ちょっとヤバすぎないか、この臭い……!」

本当だ。いままでに嗅いだことのない、凶悪な臭いが周囲に立ち込める。自分の鼻がどこに付いているのか、はっきりとわかるほどの臭いである。通報とかされないか心配だったが、幸い平日だったので、周囲に人の気配は薄かった。

缶が完全に開く。

そして我々は息をのんだ。目にしたシュールストレミングの実体ビジュアルが臭いを上回る勢いで凶悪だったからだ。

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まるで、「環境汚染にまったく配慮していない工場の脇の沼」みたいな光景である。

浮いている、魚の死骸が浮いている。

これをいまから、私たちは食べるというのか。

気がつくと、本当にハエがぶんぶん集まりだした。本当にこれはグルメ記事なのか。

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しかし、四の五の言っていても始まらない。

さっそく、シュールストレミングを口に運ぶことにした。

まずは北欧における一般的な食べ方を試すことにした。パンの上にトマトとポテトサラダを敷き、その上にニシンを置いて食べる方法である。

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▲「ウォッカですすぐと臭みが取れる」という情報を入手し、一応購入しましたが我々は一切使用しませんでした(編集部)

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マズい。

なんのひねりもないコメントで恐縮だが、おそろしくマズい。

「調子が悪い時の下水道インフラ」をそのまま口にしたような、「なにかしらの解剖実験を終えたあとの理科室」を丸かじりしたような、そんな臭いが鼻へと突きあげてくる。食べながら、誇張でもなんでもなく、一瞬意識が飛んだ。

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大武も味わい、静かにえずいていた。

「これは近年稀にみるマズさだわ……」

そう、ここまでマズいものを、食べたことがない。なんせ私たちは飽食の時代を生きている。いまや、マズいものはお金を出したって食べることが難しい。しかし、ここにきてこのシュールストレミングの強気な態度はどうだ。ちょっと感動すら覚えるマズさである。

とにかくトマトとポテトサラダがなんの効果も生んでいない。なんの仕事もしていない。ただただ「今日は見学で来ました」みたいな、「とりあえずどんな感じか見させてもらいます」みたいな、「自分のタイミングで帰りますんで自由に試合してください」みたいな、そういう第三者的なポジションでいようとしているのだ。頼むから貴重品を預かる係くらいはやってくれ。

まいったな、と思うのが、ギリ食べられるマズさなのである。

地味に食べられてしまうマズさなのである。

リアクションが非常に取りづらい。

三幸貿易さんも言っていた。

「私たちも何度も食べていますが、そのたびに気が重いです」と。

これは確かに、ただ気が重くなるマズさだ。何度も食べるものではない。人生で一回だけでいい味と臭いである。そしてさっきからハエが次々と集まってくる。

しかし、ここで終わりにしたくはない。一期一会の缶詰だ。色んな食べ方を試してみたい。

シュールストレミングは「世界一臭い食べ物」。だとすれば、他の臭い食材と食べ合わせてみたら、案外なハーモニーを生むのではないか。臭さと臭さが打ち消し合って、意外と無臭になったりするのではないか。なあ、大武。

「お前、それ本気で言っているのか」

すでに古くからの友人の目は、死んでいた。漫画家として成功したというのに、私が幼馴染であったばかりにこんな目に合わなきゃいけないなんて。本当に可哀そうな男である。

とりあえず、加工食品界において尖った臭いを放つ横綱、ブルーチーズを合わせて食べてみる。

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ん?

んん?

不思議なことが起きた。

ブルーチーズが、べらぼうに勝っている。シュールストレミングの影が、突然に薄くなった。

おかしい、「世界一臭い食べ物」のはずなのに、ブルーチーズが来た途端に引っ込んだのである。なんなんだ、人見知りが強いタイプなのか、シュールストレミング。ブルーチーズさんに挨拶くらいはしたらどうなんだ。

私はブルーチーズが好きなので、これはわりと食べることができた。しかし大武はブルーチーズが大嫌いなので、「マズいね……」としか言わない。このままだと大武は最終的に「ガガ……」とか「ぎぃ……」とかしか言えない人間になってしまう気がする。大変だ、はやく美味しいものを与えないと、弔辞を読んでもらえない。

続いて試したのは、納豆とキムチ、そしてシュールストレミングの食べ合わせである。

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おおおお。

おおおおおおおお。

わりと、食べられる。なんだろう、ちょうどいいバランスでバンドが組めている感じがする。納豆がボーカルで、キムチがギター、そしてシュールストレミングがカスタネットである。

そう、シュールストレミング、他の臭い食材と出会うと、急に鳴りを潜めるのだ。

「不思議だな」

「なんなんだ、シュールストレミング」

バンド編成を少し変え、キムチの代わりにブルーチーズをギターにしたバージョンも試してみる。
うん、やはり、わりと食べられる。

じゃあ、じゃあ、全部いっぺんに口に放り込んだらどうなると思う? やってみようぜ! などと、だんだん楽しくなってきたふたりは、これまで登場したすべての食材を食べ合わせてみることにした。シュールストレミング(北欧)、ブルーチーズ(欧州)、納豆(日本)、キムチ(韓国)の四国志がパンの上に完成する。

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おおお、これも食べられる。イケる。

平和な世界が、そこには広がっていたのである。

「いや、ちょっと待ってくれ」

そこで大武が疑問を呈した。

「食えるよ、確かにこれは食える。でも……マズいと思う」

そうだった。噛めば噛むほど、普通にマズい。

いつのまにか基準が変わっていて「食えるか食えないか」の物差しで味比べをしてしまっていたけれども、「美味いかマズいか」で言ったら、どれもずっとマズい。臭いものばかり口にしていたものだから、感覚がバカになり始めていたのだ。

そしておそろしいことに、シュールストレミングが作りだす臭さというのは、どこまでいっても慣れない。他の食材と合わせることで主張こそ薄くなるが、しかしずっと一定の臭いは放ち続けていて、それが永遠に鼻孔を刺激してくる。

くさやを以前に食べたことがあるが、「うっ」となるのは数分ほどで、その後に臭いを感じることはなかった。しかしシュールストレミングは、そうはならない。いつまでも口の中に居座り続ける。これが王者の風格というものなのか。

「そういえば、ラ(裸)で食べていないね」

ああ、本当だ。パンにのせてばかりだったが、シュールストレミング単体の味はまだ確かめていない。三幸貿易さんも「食される際は、是非アレンジなどせず、そのままの味を試してみてください」と言っていた。やるしかない。

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「ゾンビの切り身じゃねえか」

大武が、フォークの先のシュールストレミングを見て、そう呟く。

それを無視して、口へと運ぶ。大武も同時に試す。

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もう、なにも言いたくない。

とにかく、口の中を滅茶苦茶にされたような、嫌な感触だけが走る。
なんだかわからないけれども、熱いシャワーを浴びたくなった。

「世界一臭い食べ物」は私たちの味覚に、極めて大胆不敵に金字塔的なマズさを打ち立てたのである。

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今日一日、オレたちは可哀そうだったね。そんな言葉を大武にかける。

「でも、可哀そうな人の存在があることが、ギャグにおいては大事だよね」

確かに。『ヒナまつり』でも新田さんというキャラクターが可哀そうな役割をしていて、それが漫画の中でギャグの調律をしている。

0歳からの付き合いである我々は、ひとりが漫画家になり、もうひとりはこうしてよくわからないものを書く仕事をしている。そして今日はシュールストレミングを一緒に食べている。人生というのは、なにが起きるのか、本当に予測ができない。

記憶と匂いは強く結びついている、なんてことがしばしば語られる。それは私たちの遠い祖先が最初に手に入れた感覚が嗅覚だから、という説を聞いたことがあるが真偽のほどは不明である。でも、匂いによって記憶が呼び覚まされることは、日常の中でもたまにある。

今日、最初に集合した大武の自宅に入って思ったのは、「子どもの頃に遊んでいた大武の実家と同じ匂いがする」ということだった。そして私は瞬間的に、一緒に『ときメモ』をやったり、同じ空間でだらだらと漫画を読んだりしていた、あの頃の大武との思い出を胸の中で蘇らせていた。

これからまた、人生のどこかでシュールストレミングを開けることがあったら、私は今日の景色にワープすることができるんだろうな。そんなことを考えながら後片付けをして、大武に別れを告げ、帰路へとついた。

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帰宅途中、熱いシャワーを浴びるように、二郎系ラーメンをニンニクマシマシで食べた。

麺をすすりながら考える。私は結局、食事に対してのリベラル性を取り戻せたのか。それはまだはっきりとはわからない。とりあえず、「臭いもの」に対する地平だけは開けた気がする。

この世は未食で溢れている。甘いもの、苦いもの、冷たいもの、柔らかいもの、生っぽいもの、なんかザラっとしているもの、口にしたことがないほどに美味いもの、ああ、枚挙にいとまがない。

私の未食を巡る冒険は、これからも続く。次回はできれば、普通に美味しいものを食べたい。

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作・大武政夫

                                   (了)

作った人:ワクサカソウヘイ

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ワクサカソウヘイ/文筆業。主な著書に『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)、『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫)、『ふざける力』(コア新書)などがある。ルポタージュとコントをフィールドに活動中。とにかく小動物がなつかない。

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